適応進化ダイナミクスの理論的解析

進化モデルの概念図。内部に反応ネットワークを持つ細胞モデルを考える。増殖速度などの選択圧の下で細胞を進化させた後には、環境摂動や突然変異に対する応答が、低次元の表現型空間に拘束される。

生物システムは多様な構成要素からなる高次元のダイナミクスを持ちます。こうした複雑なシステムが、どのようにして環境変動に対して安定に進化していくことが可能なのでしょうか。そこで、理論解析と細胞モデルの計算機シミュレーションを用い、進化過程が従う普遍的な性質を探求しました。結果として、ゲノム変異に依らない表現型の揺らぎと進化応答には正の相関があることや、進化的な安定性を満たすためには、細胞状態が低次元のダイナミクスに拘束されることが示され、さらに実験データによって検証されました。この結果は、ランダムに生じている遺伝的変異の下でも、表現型の進化には決定論的な方向性があることを示唆しており、実験的にそうした低次元のダイナミクスを解析することを進めています。

「適応と進化におけるマクロ現象論――表現型変化の低次元拘束と揺らぎ–応答関係」, 日本物理学会誌 (2018)

Formation of dominant mode by evolution in biological systems, Phys. Rev. E (2018)

ラボオートメーションを用いた大腸菌進化実験

生物システムが持つ進化可能性を理解し、それを記述する低次元のダイナミクスがどのように抽出できるかを検証するために、様々な環境下での大腸菌進化実験を行っています。我々が開発したラボオートメーションによる全自動進化実験システム(右図)を用い、 これまでに、細胞壁合成やタンパク質合成などの阻害剤や、酸・アルカリ・重金属など95種類のストレス物質を添加した環境下での進化実験を完了しています。そこで得られたストレス耐性株について、遺伝子発現プロファイルを調べるトランスクリプトーム解析と、超並列シーケンサを用いたゲノム変異解析などを行いました。適切な機械学習の手法を用いてこれらのデータを解析したところ、大腸菌の表現型進化は比較的低次元のダイナミクスに拘束をされていることが示されました。これは、上述の理論研究の結果と良い対応をしめしています。現在、選択環境に動的なフィードバック制御を加えるなどの手法で、大腸菌の進化過程が持つ性質を詳細に解析しています。

High-throughput laboratory evolution reveals evolutionary constraints in Escherichia coli, Nature Comm. (2020)

全自動培養システムの外観
このロボットの動画はyoutubeで見ることが出来る(リンク)。

代謝ダイナミクスの理論的解析

代謝とは、生物が環境から取り入れた栄養物質をもとに自らの構成要素や自己維持のためのエネルギーを産生する一連の化学反応のことで、文字通り「生きていく」ために必須のシステムです。これまでの代謝の理論研究はその多くが、「細胞内部の化学物質濃度は時間的に変化しない」という定常性を仮定したものでした。栄養が潤沢に供給され、微生物細胞がどんどん増殖する環境ではこの仮定をもとにした理論は実験結果をある程度精度よく予測出来ていました。しかし近年、栄養のない飢餓環境下の細胞の振る舞いが過去の培養環境に依存していたりするなど、定常性を仮定すると説明できない現象が報告されるようになってきています。このような環境における微生物細胞の振る舞いを理解するために、微分方程式を用いて大腸菌の代謝反応システムをモデル化し、様々な環境下でどのような挙動を示すのかを力学系やネットワーク理論を援用しながら包括的に調べています 。

Emergence of growth and dormancy from a kinetic model of the Escherichia coli central carbon metabolism, BioRxiv (2021)

代謝シミュレーションの一例。定常状態へ至る複数の経路が存在し、その一方は遅い緩和を示すことが明らかとなった。

遺伝子発現の進化の方向性を理解

同一遺伝子型で同一の環境下においても大腸菌の遺伝子発現量には揺らぎが存在する。

遺伝子の発現量の進化速度は何によって決められているのでしょうか?近年の研究から、発現量の進化速度は、遺伝子ごとに異なっており、ゆらぎ(環境や変異を伴わない確率的な変動)や環境応答性などの一見無関係に思える時間スケールの変動性と正の相関関係を持つことが理論予想されています。この理論予測は、進化の反復性や方向性、予測性についての示唆を含んでおり、近年注目を集めていますが、厳密な実験による実証には至っていません。そこで我々は、大腸菌の個々の遺伝子の発現量について、ゆらぎ、環境応答性、変異に対する応答性、進化速度を定量し、理論予測の検証を試みています。これまでに、ゆらぎと環境応答性についての正の相関関係の実証に成功しており、現在は進化速度の定量を行っています。

多くの共生細菌が辿るゲノム進化のプロセスを実験室で再現する

独立生活を営む細菌が宿主に寄生するようになり、さらに細胞内共生細菌へと進化していく過程では、ゲノム中の転移遺伝子の数が一過的に爆発的に増える現象が知られています。しかしながら、この爆発的な増加が共生細菌自身や共生相手にどのような影響を与え、共生関係の樹立に関係しているかについては、よくわかっていません。その理由は、共生相手との依存関係が強すぎる天然の多くの共生細菌では、単離や解析が非常に難しいからです。そこで我々は、実験室で培養・解析が容易な大腸菌を用いて、共生細菌が辿るゲノム進化のプロセスを再現することを試みています。これまでに、高い活性を持つ転位遺伝子の数を飛躍的に高める実験室内進化に成功しており、Nanopore Sequncingなどの最新のゲノム解析技術を駆使して現在その解析を行っています。

転移遺伝子の活性が高い大腸菌コロニーの典型例。赤色蛍光タンパク質で発現標識した転移遺伝子がゲノム上の新たな座位に転移した個体(変異体)は赤い蛍光を発する

細胞分化の不可逆性・安定性・階層性:数理モデルによる解析

多細胞生物の発生過程は一般に、少数の分化能を持つ幹細胞から、様々に異なるタイプの細胞が分化をしてきます。では、この多くの場合が不可逆かつ階層的な分化過程は、どのようなメカニズムによって生じるのでしょうか?また、その分化過程はどのように制御されて、個々の細胞レベルと集団レベルの安定性を実現しているのでしょうか?こうした問いに答えるために、発生過程における状態の多様性と安定性について計算機シミュレーションを用いて解析しました。 結果として、非線形の内部ダイナミクスを持つ細胞が相互作用するという単純な仮定のみで、 多様な状態への分化や発生過程の安定性を説明できることを示しました。特に、分化能を持つ幹細胞が、 分化能を失った末端細胞と比較して、高い自由度を持ち複雑な振動をする遺伝子発現ダイナミクスを持つという予言を提示し、 最近になってそれが実験的に確認されています。こうした理論研究をさらに発展させて、発生過程での階層的な細胞状態遷移と、細胞集団レベルでの安定性がどのように実現しているか、その理解を試みています。

A Dynamical-Systems View of Stem Cell Biology, Science (2012)

Oscillatory protein expression dynamics endows stem cells with robust differentiation potential, PLoS One (2011)

細胞分化モデルの一例:相互作用する細胞が増殖することにより、一部の未分化細胞(stem cell)が異なるダイナミクスをもつ分化細胞へ遷移する。